年の始めに、西宮商工会議所 西宮納税協会 西宮青年会議所 西宮貿易協会主催の新年名刺交換会に参加するのが、毎年恒例となり、できるかぎり交替で私と職員の誰かが出席するようにしている。
不思議なもので、お付き合いが増えれば増えるほど、この名刺交換会のありがたさが身にしみる。
本来であれば、新年のご挨拶に一社一社廻らなければならないのに、この時に「旧年中の御礼と新年のご挨拶」を一気にさせていただけるからだ。
毎年続けていると、私たちのような団体だからだと思うが、
あることに気がつく。
最初の年は、数名の方々にしかご挨拶できなかったのに、年を重ねるごとに、ご挨拶できる方が増えるのだ。
この「増える」ということは、大変ありがたいことで、
要するに、仕事を順調に広げているというバロメータになる。
多くの皆様方にお会いすることができて、
本当に有意義な時間を過ごすことができた。
話は変わるが、
昨日、商店街の活性化策についてのブログを書いた。
こみさぽは、団体として政治に関わることは絶対にないし、
正直言うと、選挙等というものは好きではない。
ただ、昨日も書いたが、年をとったのか、日本という国が決めることが、自分たちの仕事に大きな影響を与えるようになったからか、
事業に関係性があることについては、興味を持たざるを得ない。
それはさておき、言いたいことは実はここから先である。
現職ではない、ある衆議院議員次期公認候補という人とご挨拶する機会があった。以前、その人とは面識があり、名刺交換もしていて、かつ、名刺交換をした直後、御礼状まで届いていた。
あえて付け加えると、今回ご挨拶したのはお顔を存じ上げていたから、単純に挨拶しただけである。
他意はまったくない。
しかし、驚いた。
その人の第一声が
「商工会館の3階の人ですよね。3階の人ですよね。」の連呼であった。
別に普通の人なら、気にも留めなかったのだが、
私たちの事業や、私たちを取り巻く多くの関係者の皆さんに
多大な影響を及ぼす「政策をつくるぞ」と、大々的に宣伝して
歩いているご本人が、人を識別しながら挨拶する時に
「商工会館の3階の人」はないだろう。
せめて「商工会館の3階に事務所がある方でしたよね。名前を失念してしまいました。すいませんが、もう一度お名刺を頂けますか?」
くらいは言ってほしかった。
こみさぽは、たくさんの若者の就業支援を積極的に行っている。
若輩者の私たちではあるが、少し先に生まれ、近い目線で相談できる相手として、20代の若者がほぼ毎日訪ねてきてくれている。
昨日も「敬語や丁寧語がきちんと話せないので、面接で極度に緊張してしまう」という相談を受けたばかりだ。
私は、もちろん敬語や丁寧語を上手に使いこなせるほうがよいに越したことはないが、そのことが理由に何も話せないのであれば、
できるだけの身の丈の配慮で、自身の思いを精一杯話したほうが、
相手に心が伝わると思っている。
前述の政治を志す方の表現からは「気遣い」が全く伝わってこなかった。というより、こんな人に政治を任せていいのかと思った。
ほとんどの人は、うっかり忘れてしまうことがあるはずだ。
その点については、まったくなんとも思っていない。
「言葉の抑揚や発し方」で、その人が何を思ってそういったのか、
想像がついたから愕然としたのだ。
私は、きっとこの方が、今後どんなに上手に演説しても、
日本の将来を任せようとは思わないだろう。
おそらく相手は気づいてはいないと思うが・・・。
最近の若者たちを見ていて
【「なること」が目標で、
「なって何をしたいか」がない人が多い】と感じる。
なぜか似たような気持になった。
なにはともあれ
人の振り見て我が振り直さなければと、新年早々、
どきっとしてしまった。