昨日、大手前大学さくら祭の帰り、大変天気も良かったので
「仁川百合野町」の芝桜を見せてもらいに行った。
数日前「ゆりの会」会長からお電話を頂き、今この時の芝桜を若い方々にみてほしいと依頼されたからだ。体調をおしてゆっくりお話下さったお気持ちに心打たれ、なんとかお手伝いできないかと思案していた。
会長は、大学と地域の連携をコーディネイトしている「こみさぽ」のシンポジウムにも参画して下さっている。しかし、ただ単純に案内するだけでは学生に深層を伝えることができないと考え、それを伝えるためにも自らの目で見て、感じて、伝えるべきだと思い、訪れたのだった。
あまりにも突然の思いつきだったので、下調べをせず出かけた私たちは、うかつにも車で現地まで向かってしまった。そして、最後の坂を登る途中、目の前に広がる桃色に言葉を失った。
なんて燃えるような桃色なんだろう。
どんつきに車を止め、おそらくこの場所では迷惑をかけるだろうと通りすがりの地域の方に承諾を得ながら、まずは「地すべり資料館」に入った。
なぜだか芝桜だけを鑑賞する気にはならなかったのだ。
受付で記帳し、2階へ向かう。
大きなジオラマから当時何が起こったのかを知る。
資料館の方は、親切で、約17分間のビデオを見せてくれた。
平成7年1月17日 阪神大震災。
15年前のその時になにが起こったのか。それは私がここに書き留めるべきではない。ビデオには、陥没した道路、土で埋まった家々が映し出されていた。
「様々な設備によって被害が最小限に収まった」というコメントが耳に残る。そのことを繰り返し伝えようとしていたように思う。
地震の後の土砂災害によって「この場所で34名の尊い命が失われたこと」だけは事実だった。
その後、計測システムを設置し、小さな揺れも感知できるようになった。その設置や、この資料館の建設も地域住民との連携が不可欠で、一定の理解の上に成り立っている。
今後このような痛ましい災害が起こらないよう、各地で様々な復旧工事が行われている。砂防ダム・山腹工・集水井戸・集水ボーリングなどだ。
もちろん、住み続ける地域の方々のために景観に配慮した工法を行っているそうだ。
住み続けるみなさんのために、できるだけひっそり来るべきであった。決して観光名所ではない。想いを感じることができる少数の人たちにだけが、地域の理解を得ていることへの感謝を胸に、芝桜を愛でたらいいのだと思った。
若者たちの可能性は無限大で、正確に伝えることができれば、想いを共有し、担い手になってくれるはずだ。
もちろん、私たちも。
芝桜は、友人を亡くしてしまった地域のみなさんが丹誠込めて、手入れし、自然を愛し、山を愛し作り上げてきた芸術作品だった。
ひっそり、静かに、訪れてほしい。
そして、絶えることがないよう協力してほしい。
それは、雑草を抜くことや苗を育てること等の細やかな作業から脈々とつながっていく。
そして私たちは「伝える」ことの難しさを乗り越えながら、
「意味ある伝え方」を考えよう。
人が見に来ればいいってもんじゃない。
そう、観光地ではないのだ。
「広く薄く伝える手法」はどんどん進化する。
しかし、それは本意ではない。
「意味ある伝え方=想いを共有できる人たちだけが知ることができる伝え方」を探そう。
目に桃色が焼き付いている。