こんにちは 東朋子です。
2011年、私たちにとって大きな転機の年となった。
なんだか毎年、飛躍だ、転機だと言っているような気がするが、
今年は特に「運命を感じる懐かしい再会」が多かった。
それもこれも、ひょうごボランタリープラザの高橋代理のおかげである。
3月11日。
東北地方を激しい揺れが襲った。
一瞬にして、人の命を、生活を、財産を、心を奪っていってしまった。
そして、地震発生から1か月後、まだ寒さも残る4月頃、
私たちの活動場所は、東北道ボランティアインフォメーションセンター(東北道VC)にあった。
忘れもしない4月15日(金)午後1時。
私と職員1名は、ひょうごボランタリープラザの高橋代理の前に座っていた。
4月10日(日)突然電話が鳴った。高橋代理だった。
「ひさしぶりやなあ。ちょっと顔出しいな。」
その電話で、15日お伺いすることになったのだが、
実は心底怖かった。というか、緊張していた。
こみさぽを立ち上げて5年。
ちょうど5年前のこと。
私は、NPOの業界の、もしかしたら異端児だった。既得権にまっこうから立ち向かい、異論を唱え、古参のNPOから離脱し、
新しいNPO法人を作った(といっても、私が言いだしっぺではないが)
高橋代理はその経緯も、その当時の様子も、尖っていた私も、すべてご存じだった。
そんな私に、電話があるなんて、どんな不吉なことが起こっても、
おかしくないと思っていた。
久々にプラザを訪問したあの日、しばらく現状の報告をした後、
「あずまよ~。兵庫県は東北道VCをつくるんや。
阪神淡路大震災で被災した兵庫県だからこそできる支援をするんや。
なあ、あずまよ~。行ってくれへんか?」
突然である。
そういえば、「飛んで火にいる夏の虫(夏じゃないが)」ともおっしゃった(笑)
私は「行きます」と即答したのである。
本当に即答だった。
業務は多忙を極め、職員はひ~ひ~言っていたし、
アポイントメントもあったと思うし、
家族や、友人や、約束や、もうありとあらゆるものを、
全く想定にいれず「行く」ことだけを決断した。
5年前の尖っていた私がどうであろうと、高橋代理が声をかけてくださったのだ。
社会のために、被災地のために、兵庫県のために、役に立てるかもしれない。
今こそ、私が恩返しできる時だと、心が動いて止まらなかった。
ありとあらゆる業務や人員体制を整え、
4月23日~29日 2名
4月29日~5月5日 3名(私を含む)
計 延べ13日間 5名がこみさぽから東北道VCに派遣された。
東北道VCでの活動は、
私のこのブログを遡って頂けると、臨場感ある書き込みをお読みいただけると思う。
(我ながら稚拙な文章だが)
この兵庫県として、いえ、日本の社会全体として、大きな成果を生み出した
「東北道VC」に携われたことが、
こみさぽ始まって以来の大きな活動だったことは言うまでもない。
お金の桁ではなく、私たちが生み出した完全自主事業かどうかでもなく、
純粋に、本当に純粋に、東北道VCで多くのこみさぽスタッフが活動できたことが
何よりの宝なのである。
そして、その何にも代えがたい機会を与えて下さったのは、高橋代理である。
人と人とのつながりは、かくも劇的なものかと思った。
その後、東北道VCで出会った東北大学 村松淳司教授や男の台所の安海賢さんと距離を感じない
友好な関係を継続して築くことができ、村松先生とは3か月に1回は関西でお会いして
東北大学生×西宮市内10大学生のコラボを続けている。
www.comisapo.com/ncp/shien/index.html
www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/higashinihon/0004275896.shtml
NHKでも取り上げられ、東北と西宮の学生たちは、涙を流しながら、
「3月11日を忘れない」と誓った。
気さくな高橋代理は、突然ひょっこり
≪11月3日 開催≫東日本大震災トークセッション「被災地の今と未来」参加者募集中!
comisapo.com/news_detail.php?id=40&cid=2
にお越しくださいました。そして、皆さんの前で、有益な情報や、ひょうごボランタリープラザでの
被災地支援やそのサポートの様安堵を教えて下さった。
本当にあったかい(#^.^#)
その後、つながっていく高橋代理の人的ネットワークは、
こみさぽに大きな動きを作り、
そして、「懐かしくも新しい、そして昔よりもより強固なつながり」に広がっている。
感謝してもし尽せない、本当に心強いカウンターパートを手に入れたのは
実は、私かもしれない。
よい年だった。
恥じないよう、めげないよう、来年も突き進む所存です。