東朋子です。
いっつもお世話になっている企業のみなさんとともに
勉強している会です。
最近、結構はまっています。
毎日忙しすぎるので、なかなか積極的に参加するところまでには
いきませんが、できる限り例会は絶対参加でがんばっています。
経営するということはどういうことなのか。
働く人々の幸せをどう描くか。
これまでNPO法人で働く人々は、あまりにも劣悪な環境で
かつ、想いという耳触りのよい言葉に惑わされてきたかと
思うと、どうしても変えなければと思うのです。
だから、勉強しています!
私がNPO法人という業界に飛び込んだ時。
「そもそもNPOってなに?」と言われ、今以上に、当たり前の如く
ボランティア団体そのものでした。
一部の団体は、経営の観点から、そして社会的責任もまっとうしながら運営されていましたが、そんなのは極々一部でした。
あるNPO法人の代表と会うために、宝塚から車に乗り
事務所に向かいました。
恐ろしいほど、汚くて、部屋中に紙ごみが散乱し、足の踏み場も
なく、その中におじさんが一人待っていました。
すぐに終わると思っていた話が、
延々4・5時間かかったと思います。
そして最後に「うちの事務局やってみないか」でした。
正気ですか?と思ったのを覚えています。
でも、そのぐちゃぐちゃの部屋を片付けることだけはしようと
決心しました。
これまで、ほとんど誰にも言ったことなかったのですが、
私は情けなくて情けなくてしかたなくて、
事務局を引き受けたのでした。
なぜなら。
落ちている紙のひとつひとつは、
「私たちの税金でつくられているチラシたち」
だったからです。
この団体は行政からお金をもらい、そのお金を使って
活動をしている。
展示してあるならまだしも、足もとにばらまかれている
そのチラシのひとつひとつに血税が費やされていると
思うと、たまらなかった。
しかし、その団体で働くということは、
一般的な働くを意味しているものではありませんでした。
要するにボランティアに少しのお金が出たらそれでいいだろうというようなものでした。
それでも私はまだ救われているほうでした。
私が入るまでの人たちは、そんなことすら考えてなかったと
思います。想いがあれば、劣悪とか関係ないって思っているように
感じました。
生きてけないじゃない。
若い子は絶対働けない。
変えたかった。
NPO業界を。
いっぱい教えてももらいました。
本当に感謝しています。
でも、私のとめられない良心が何度も何度も
苦しがりました。
そのために、苦しい思いもたくさんしましたが、
全く悔いはありません。
最近の風のうわさで、
「彼らはまだ悔しがってるみたいだよ。君の成功を(笑)。
あることないこと言って回ってて、悔しんだね~。
みっともないね(笑)」と言われました。
逆に心配してくれる方も何人もいました。
残念ながら、私には超えたい相手にしか反応しなくなって
しまって、今では眼中になくなってしまっています。
もっと、悔しがることができたら、相手を認めていることにも
なれるのに。
逆にかわいそうになってしまいました。
本当に大丈夫なのか???と。
気の毒すぎます。古参の名だたる法人なのに、
働く方々の精神状態が不安でなりません。
そんなに苦しい現状なのでしょうか。
昔から、足を引っ張られることは日常茶飯事でした。
「NPO法人で稼ぐようなことをするなら、株式会社にすればいい」
「NPOで働いていて、お金なんて求める奴は悪い奴だ」等など。
でも、私はドMらしく、言われれば言われるほど、
幸せをかみしめてしまうのでした。
この性格は今もですが・・・。
で、今になったら、そう言ってたみなさまが、
よってたかって、役所からのお金にたかって
人を雇って、給料払ってる。
ただ働きが美徳だって、教えてもらったのに。
時代は流れるけど、あの時の言葉はその人たちの
心に残り続けるだろう。病むほどに。
そして課題はエンドレス。
だって、そこで働く人たちへの愛がないから、
単年度のお金だけを糧に生きていけるのだもの。
確実に自信を持って言えること。
私、勉強しています。
そういう大変悲しい将来を約束された法人にはぜったいしない!
よかった~。あの場所から抜けられて、幸せです。
今に感謝する毎日です。