こんにちは。東朋子です。
心ゆたかに暮らしたいなら、その地域のHAPPYのカタチに協力する市民でなければならない。
名言である。
私は、昔から商店街の活性化なんて考えていたわけではない。
そりゃあ、生まれた所が神戸で、商店街のすぐ近くで(今度母に名前をちゃんと聞いてみておこう思います。きっともうなくなってしまっているかもしれません)家の窓から首を出すと、右の奥に商店街のアーケードが見えていて・・・なじみがないわけではない。
あの頃、アーケードに「夜店」という横断幕が張られるのが楽しみで仕方がなかった。
「夜店」がある時には、必ず、母が双子の私と妹の手を引いて、
連れて行ってくれたものだ。
そういえば、今、夜店ってあるのだろうか?
最近では「バル」と言って、既存のお店をチケットを買ってめぐるのが、人気らしいが、そういうものじゃなくて、
本当の「夜店」って、あるのかな?
店屋さんが、店先をその日だけは貸してあげて、
子どもたちが楽しめるようにしていてくれた。
日頃は、母に連れられて忙しい夕飯の買い物に引き回されているけれど、その日だけは「私たちのための商店街」だった記憶がある。
でも、商店街の活性化を本格的に勉強したわけでもないし、
まちづくりをホンキで学んだこともない。
おそらく、まちづくりというテーマなら、こみさぽの職員の方が
よく知っている。都市計画やら、ランドスケープやら、流通やらを、
ホンイキで学んできた子達ばかりなのだから。
でも、私は「まち」がスキである。
特に、甲子園口の商店街はとても好きである。
商店街らしい商店街がどんどん姿を消して、
インターロッキングで敷き詰めたヒールのかかとが引っかかる敷地の中に、ぽつぽつおしゃれな店が並ぶ商店街が主流となった。
以前聞いたことがある。
「商店街って、そのまちを構成する劇場や住んでいる人や、
必要なものを買いまわるためにあったもんだ。
だから、劇場近くの商店街は服屋や靴屋が多い商店街になったもんだ」
商店街もまちを構成する社会資源で
そういう私たちこみさぽも社会資源である。
多種多様な社会資源が手を携えて、まちを元気にしていく。
そうでなければいけない。
商店街に買い物の用事はなくても、ちょっとぶらぶら行ってみようと思って、用が無くても行きたくなる「まち」にしないといけない。
そこには「しがらみ」も「利権」も「けんか」も「ややこしい人間関係」も必要ない。
ややこしさを持ち出してくる人たちは、どんなに古くからその地で店をやっていても、偉くなんてない。
心ゆたかに暮らしたいなら、
仲間は多い方がいい。
新しい力を阻害しちゃいけない。
所詮、人はわがままで
若いときは「安全で、安くて、おいしいものがある大型店舗」に寄っていって、でも年をとったら「商店街が近くにないから不便だ」とか
言う。
若い時に買ってくれなかったら、自分が年をとるまで残っているわけがないでしょ・・・・。
どうすりゃいいんだ、まったく。
心ゆたかに暮らしたいなら、あなたは、その地域のHAPPYのカタチに協力する市民でなければならない。
当たり前なのに、とても難しい。
でも、その当たり前ができる人たちがいる。
それは、まちへの関わりの深さでも、店を長くやってるかどうかでも、そして歴史を語れる知識の多さでもなく、ただひたむきに「熱意」を持っているのかどうかだと思う。
店の人たちはよく言う。
「あんたたち、ホンキで取り組んでるのか?
もっと真剣にやってくれないと、こっちは死活問題なんだ」
そういう人こそ、汗をかかない。
自分の店のほうが大事であり、順番や立場やしがらみにこだわる。
私たちが死活問題じゃないとでも思っているのか?
こっちだってそうだ。
まちづくりの、商店街活性化の達人たちは
いつも私に刺激と勇気と智恵と情熱をくれる。
この出会いに感謝である。
今日のこの日は、また私を前に押し出してくれるに違いない。
Take the Fortune by the forelock.
運命の女神が、向こうからやってきた時に前髪を捉まえなければ、すれ違ってから後を追っかけてもどうにもならない。
前に進むのみである。