少し恥ずかしがりやの彰太郎君は、コミュニティ事業支援ネットで
「彰太郎の名刺工房」という活動の中心的な存在です。
(名前が名前なので、もちろんそうなのですが)
スタッフの田上氏と一緒に、いろんな事業所から、名刺の点字加工を請け負って、点字を施し、またその事業所に配達してくれています。
最近の彰太郎君は、少し笑ったり、冗談を言うとクスッとこっそり笑いをしてくれたりします。
初めて会った時の彼は、タオルを口元に忍ばせて、息を切らせて話していました。
その姿を見て、なんとかチカラになりたいと、彼ができる仕事体験を模索する中で、名刺工房は生まれました。
以下は、彰太郎君のお母さんと交わしたたくさんのメールや手紙の中のひとつです。
私たちは変わらず、彼の一番の理解者でいたいと思っています。
チカラになっているかはわからないけれど・・・・。
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いつもお世話になっております。あずまです。
彰太郎君が少しずつでも、私たちとの距離を縮めたいと感じてくれている事が、感覚的にですが、伝わってきて、スタッフ一同、大変うれしく思っています。
お母さんともっとゆっくりお話したいと思っていたのに、
3ヶ月はあっという間に過ぎていってしまいましたね。
お会いしてお話できなかった分、私が日頃感じている事を
少しお伝えできればなと思い、お手紙を書くことにしました。
私の子ども達が小さな頃、「子育て」がどういうものか
きちんと理解できず、ひとり悶々と考えていた時、
当時、聖和大学で教鞭をとっていた恩師が話してくれた
言葉たちが私の気持ちをぐんと楽にしてくれたのを覚えています。
(手紙を書くにあたって、メモを引っ張り出してきました(笑)
うろ覚えを引用しながら書きますね。)
「大人しくて」「乱暴で」「落ち着きがなくて」「我がままで」
「強情で」という言葉を親はよく使いたがります。
親として切なるものがあり、何とかしたいという気持ちも
理解できますが、それを決める基準はどこにあるのでしょうか。
これは、親の都合で色分けしたものであって、
子どもから見れば甚だ迷惑と感じているのではないでしょうか。
見方を変えれば、
大人しい・・・・・じっと観察しながら考え、感じている
乱暴・・・・・・・好奇心旺盛で活発、自発性が発達している
落ち着きがない・・様々なことに関心を持ち、試している
我がまま・・・・・大人の抑圧に屈せず自己を形成している
強情・・・・・・・自己形成の途上で自分の考えをしっかりも
とうとしている
ともみられます。事実そういうことが多いのではないでしょうか。
自分の殻にこもりがちな子ども達は、言葉も豊富ではなく、
充分に意思の伝達ができないので、まわりの大人達は内面の育ちを
見ることが大変困難です。ともすれば表面に現れていることだけで
判断し、レッテルを貼ってしまいがちです。
そして、私達は、従順で聞き分けの良い子を「良い子」とし、
行儀が悪かったり、手がかかる子を「悪い子」とみなしがちです。
また、その事で悩みますし、レッテルを貼ってしまっている自分を
責めたりもします。私たちは、できるだけ子どもが自ら発達する機会を与え、理解と忍耐をもって暖かく接する事が大切だと思わされます。
願わくば、誰もが「人」を「良い人」「悪い人」と分けることの
ないよう・・そう願ってやみません。
そして、誰か一人でもいい、暖かな愛情と信頼を示してくれる人が
近くにいてくれさえすれば、その人に信頼を寄せることで気持ちが
安定し、内に秘めているあらゆる能力を自ら発達させながら
自分らしく成長してくれる。
私たちの誰かが彰太郎くんの「信頼できるひとり」になれるよう、
この後3ヶ月も見守っていきます。
今後ともよろしくお願いします。
今度こそ、ゆっくり話す時間をつくりましょうね。 東 朋子