こんばんは。やっと、少し時間ができたので、
このブログ、実は9月に書いてます(笑)
あ、東 朋子です。
そうそう、これするから
「いったい、いつ更新されたんだ??」って言われるのよね。
でも、過去にさかのぼれるこのブログ、私らしくて大好き(>_<)
さて、今日は(このブログ日時)「キャンクリの学生たちが伊丹でフィールドワークできるのかを試される日」=ある意味のプレゼンテーションだ。
あの煙たい(笑)こみさぽに連日連夜通い、泣きそうになりながら、書類を作った彼らは、意気揚々と伊丹の街へ。
という私は、実はこの日、甲状腺の検診で遅参したのでした。
学生たちの熱意は、どう伝わるか。
これが、伝わらないのね・・なかなか・・。
昨今の学生のことを「エコ人類」と呼んでいる話、結構前のブログに書きました、ご興味があれば、読んでみてください。
<参照:2009-12-18 大阪大学 岡田先生と忘年会♪ >
想いはとても強くある。
決していい加減な気持ちで、伊丹の街を走り回らせてほしいとはいっていない。
といっても学生なので、未熟なところは山ほどある。
自らが足りない部分をお互いに補おうという前向きさもある。
しかし、絶対的に足りないのが「表現力」「演技力?」なのである。
演技しなさいと言っているわけではないのだけれど、
きっとこの人は自らをプロデュースしているのだなと感じた人には
自分も同じような温度で、演技をしてあげないとバランスがとれない・・・。
言葉にするととても難しいけれど、
かくゆう私も演技派である。
別にわざと演技しているわけではないのだが、
「そう言っている自分に酔ってしまうのだ」(笑)
主人はとても冷静なので、時折指摘されるのだが
「ともちゃんは、ともちゃんの創ったストーリーに心酔しているから、演技と気付かずに、素のままで感情移入できている」というようなニュアンスのことだ。
相手が概ねそういう場合、
対峙するこちら側も前のめりでないとバランスが合わない。
こちらが頼みに来ておいて、とんでもなく冷めているのは
何事やということになる。
彼らはできないわけでもなく、自信がないわけでもない。
できるという自負もあるし、やり遂げる気力も十分だ。
表現が豊かではなくて、抑揚も、身振り手振りも、表情も・・・
机上の紙に何が書かれていようと、そういう問題ではなくて
それ以外の大切な部分で人は心を動かされるのだと思う。
結果的には、伊丹のキーパーソンの方は、未だ納得できていなかったように見受けられたけれど、でも、伊丹でフィールドワークできることになった。
これからが楽しみでしかたない。
彼らが揉まれてどう飛躍するか。
伊丹のみなさんにはご迷惑をかけそうだが・・・。