昨日、5年ぶりにとても懐かしい友達に会った。
本当に久しぶり。
これも、新聞効果だ。ありがたい。
「新聞見てたら、懐かしい顔が載ってたから、とても驚いたよ。
元気そうで安心したよ~。」
と、とっても喜んでくれた。
K氏は、以前の会社では一世を風靡した方だ。
転身した今も大きな企業に入って、高齢者の相談に東奔西走中だ。
そのK氏から、別れ際に
「愚直」という言葉を教えてもらった。
実は、昨日、ある協議会の運営幹事会に出席していた。
その中で、どうも腑に落ちない事がたくさん出てきた。
もちろん、私だけではない。
その場にいたほとんどの運営幹事は、なんとも後味の悪い思いを
したに違いない。
会議の後、何人かの幹事と話をしたけれど、
みんなまったく同じ意見だった。
「お金と利権が不透明」
これまで、私は関わっていなかっただけに
本当の意味をよく理解していないのだと思っていたけれど、
そうではない。
情報公開がほとんどされていなかったのだ。
K氏は私に言った。
「あずまさん。ブログは気をつけなよ。それで大変な事になった人たちを何度も見てきた。だからこそ、あなたには気をつけてもらわないと・・。」と。
でも、Kさん。
私は「愚直」でありたい。
呑んでる私も、地域もお祭りでがんばっている私も
活動している私も、愚痴ってる私も、全部「私」だ。
それでなくしてしまうほどのものを、私は持ち合わせていない。
所詮、できることしかできない。
身の丈にしかなれない。
先ほどの協議会の事も、
たくさんの人たちが、これは違うと思っている。
いや、おそらく、この事が業界内だけでも周知されれば、
私ではなく、各々が各々の意見を持ち、当該組織に
問題提起をするだろう。
別に、デフォルメをしていう気はないが、
情報は均等に行き渡るべきで、少額でもその資金が、
みんなの同意の下、有効に遣われるべきなのである。
だからこそ、私は自分なりのネットワークの中で、
この情報を公開しようと思う。
そう。
怖い思いもたくさんしてきたし、いやな思いもたくさんしてきた。
でも、私は「愚直」なんだから仕方ない。
YAHOO辞書には
[名・形動]正直なばかりで臨機応変の行動をとれないこと。また、そのさま。ばか正直。「―に生きる」
と書かれている。
・・・・・少し違う。
ちょっと、ググってみると東京大学の今年の告辞の中でも話されていた。
『愚直とは、愚かなほどに正直なことです。より正確に言えば、周囲から愚かに見られるほど、自分の信念に忠実に行動することを指します。優れた能力を持つ人が、周囲の目には愚かに映るというのは、彼、あるいは彼女が、他人の評価や社会の流行を安易に受け入れることをせず、あくまで自らの信念に則って行動するからです。外部からの信号に同調するのではなく、自らの内部にあるジャイロスコープに従って行動する人間が、私のイメージする愚直な人です。
彼、あるいは彼女は、付和雷同しません。しかし同時に、頑なでもありません。彼、あるいは彼女の信念は、確実な根拠に基づいて考え抜かれたものであり、それゆえに単なる流行に付和雷同することはありません。しかし、自分よりも優れた見解に出会ったときは、それまでの見解を潔く変更する決断力を持っています。実は、こうした愚直な人間像こそ、私が長年理想としてきた研究者の在り方なのです。』
引用:式辞・告辞集 平成18年度東京大学学位記授与式総長告辞
www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message18_06_j.html
まさにおっしゃるとおり。
私は研究者ではないけれど、「愚直」でありたい。
きっと、近いうち、K氏は私に意を決して
会いにきてくれると信じている。
だって、ずっとずっと前から、私は彼が夢見ているものを感じ、
同じ価値観でものを見、ハングリー精神とホスピタリティを
兼ね備えて、次のステップを踏むことを確信しているのだから。
そんな誰かの夢を現実にするためのお手伝いが
私の毎日の仕事で、この神様のくれたすばらしいプレゼントは
きっと、必要な人の元に届けられるようになっている。
待ってるね。Kさん!!