こんにちは 東朋子です。
今日は阪神南地域ビジョン委員会OB会でお手伝い。
(表現難しですな。お手伝い?お仕事?ご協力?なんだろ?)
関西学院大学の学生発表を会で披露するためのコーディネイトでした。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
私もビジョン委員会卒業生でして・・最後のほうは仕事が忙しくなって、ほったらかしましてご迷惑をおかけしましたが・・。
で、改めて、会長に誘われて加入しました。
今回。なので、OB会会員です。ちょっと照れくさいわ。
いまさら感がぬぐいきれない・・・。
地域ビジョンもそうだから、500人委員会やNPO法人の皆さん、市民活動の皆さん、大変勉強熱心で、向上心も高く、その上知識経験ともに豊富な方が多い。
ともかく地域でわからないことがあると、その中の皆さんに聞けばすぐわかる。歩くウィキペディアのようです。
ただ、ウィキペディアは「知りたいこと」を教えてくれるが、
人間はそういうわけにはいかない。
「相手が知りたいこと」と「自らが伝えたいこと」が時として交錯するものだ。
だから、ややこしい。
お互いに「西宮をよりよいまちに」というミッションは間違いなく同じである。
しかしこの「よりよい」という言葉まで曲者ときている。
「よりよい」は個人差がある。
そして「よりよい」を求める気持ちは崇高である。
互いに崇高な気持ちを持っているのがわかりながら、見解に個人差があるものについて議論するのは至難の業だ。
向かっている方向性は等しいのだから、接点を見つけ出せばいいのだが、そんなにうまくはいかない。
西宮の景観まちづくりについて関西学院大学の学生のみなさんが調査し、市に提案まで行い、かつその結果が実現されている場所もあるという大変貴重な発表で、前回のキャンパスクリエーター支援事業のシンポジウムの時よりも上手にできた学生諸君には感心したり、別の意味で楽しくもあった。
しかし、会場に集まった地域の皆さんとの議論は、なかなか感慨深いものがあったのだ。
一般論だが
年をとると、人は知識や経験を後身に残したくなるそうである。
そしてそれはDNAのなせる業なのかもしれない。
姿かたちが消える前に、残しておきたくなる気持ちは、
万人が味わうもので、かつ想像に難くない。
残念ながら、若者はそれを受け止められるほど、成熟していない。
そのくらいのほうがよかったりする。
だから、いつも気がついたときには遅い・・なんて思うのだ。
そしてそのリグレットが人を成長させたりする。
「求められるもの」と「求めるもの」
まちのために
「求められれば手を差し伸べ」
「尊敬する地域の諸先輩方に足りないものを伝える業を磨く」ことが必要だ。
そうだ。やっぱり「センス」を磨かなくてはいけない。
地域は若者に「求められれば手を差し伸べ」
若者は地域の「尊敬する地域の諸先輩方に足りないものを伝える業を磨く」ことが必要なのだ。
双方が敏感に反応しあう「センスのよい距離感」が大切なのだと思う。