こんばんは。東朋子です。
今日は本当にいい経験をさせてもらった。私という存在をあえて意識しない学生さん達と本音で話すことができたことは貴重な時間だった。
こみさぽに集まる学生さん達が遠慮しているわけではなく、とても聡明な彼らは「大人への気遣い」を自然に身につけていて、率直な意見を極めて上手に語るので、大人は簡単に納得してしまう。その状況に慣れてしまっているということに気がついただけでも大きな発見だ。
光を放つ立場にいる大人は、もしかして気づかず同様の状況に陥っているかもしれないが、それは彼らの真実ではない。
今大学生の彼らは、阪神淡路大震災を知らない。
今年大学に入学する息子は震災発生時は0歳だった。4回生だとしても、当時4歳だからかろうじて記憶があるかないかかもしれない。
コミュニティの大切さや地域とのつながりを力説してきた私だけれど、彼らが感じている「地域」とは、私たち世代が感じているそれとは大きく違うことに気付かされた。
彼らの中の「地域」は、バイト先であり、授業のフィールドであり、大人との接点であり、最も興味深かったのは、新たな未知の世界であるということだ。
自らの可能性を見つけられる、まったく身近ではない世界なのだ。
まちづくりはもっと変革が必要で、様々なチャンスと課題が転がっているコミュニティはワクワク感を内包している場になり得るのだと感じた。
タフな彼らはガンガンぶつかってくるのだろうが、そのクールさは私たちの時代のそれとはまた違う。
まるで興味なんてないような姿で、しかし、何かの可能性を探り、それを見つけられなかったら、あっさりと踵を返される存在である「地域」という場。
まちづくりは変わろうとしている。
もしかしたら、しっかりと働きながら、ワクワクすることがあれば、自分を成長させられる場であれば、「地域」というところに彼らは登場するかもしれないと思った。うまく言えないけど、一昔前、お父さんは地域をよく知らず、リタイヤしてから地域デビューするなんて話をよく耳にしたが、これからは違うかもしれない。
気分転換のための新しい何かを見つける場としての「地域」
何だかそんな未来を感じた。
自治会組織や地域団体も、そして私たちも変わらなきゃいけないかもしれない。人口減少が止まらない日本で、一人が二人分以上背負わなきゃいけない未来がもうすぐそこまできている。
未来の日本は『趣味:ドライブ、旅行、まちづくり』なんてことになる気がしたので、明日から私もそう言ってみようと思う(笑)
「金土日で、まちづくりしてくるわ」とか
「仕事終わったからまちづくり行こ」とか
「会社帰りに自治会活動」とか
「朝、婦人会してから会社行こ」とか
そんな時代がくる予感(笑)