こんにちは。東朋子です。
最近、めっきりニュースに登場する機会が増えた稲盛会長だが、
以前、お誘いを受け「盛和塾」に顔を出したことがある。
まだまだ小さい私たちだが、個人的に働いてくれている
みんなのために、この法人を継続維持できる術を探してさまよい歩くことがある。
その時、こんな言葉を耳にした。
「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」
私たちの仕事は、ある意味、世のため、人のためなところがある。
もちろん、一般企業もそうだが、特に私たちのような法人は
より一層である。
時々、私はどなる。
それでも、みんなともに前を向いて進んでくれる。
逃げない。
私はこう解釈している。
「小善」(小さな善いこと)をするときは、簡単にできて、人としては善い人のように見える。たとえば、職員が失敗しても、怒らないでおいてあげよう・・・という善意とか。
でも、それは実は結果的に大きな失敗を生むことになる「大悪」。
一方、本当に本人のため、または法人全体のため、世の中のためになる行い「大善」は、一見するととても「非情」に映ることがある。
私は時に「非情」です。
それで、以前、誤解を生んだこともあります。
そしていまでもね。
行政の皆さんや、他団体の皆さん、もちろん職員や家族も含め、
その「非情さ」に唇をかんだ方が多いのも事実です。
私たちの仲間たちは、知っているはずです。
それが「大善」になるのだと。
だから私たちは確固たる信頼関係を保持していると言い切れるのです。
今だから言えます。
今のみんなでよかった・・・・。
実は、ご縁を断つことができた前の団体に心から感謝しています。
私は彼らといたら、こんな毎日を送ることができなかった。
今のみんなと出会うことさえなかったかもしれない。
これからも
「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」
みんなでがんばろう!