この記事は昨年12月8日・9日に名取市閖上に伺った時、私は感じたままを書き記したものです。あの時に長沼さんに教えて頂いたこと、いまでも心に残ったままです。
この2日間、宮城県の各地を回って大急ぎながらも地域の方々の声を通して「被災地の今」を学んできたように思う。
震災が起きた年、4月末には現地に入り、ひょうごボランタリープラザのお手伝いをしながら東北道ボランティアインフォメーションセンターの運営に兵庫県のNPO法人として一番深く関わった。今思うと、高橋代理に声をかけて頂いて、家族の承諾も得ずに二つ返事で被災地入りを決意したのは運命だったのかもしれない。結果、こみさぽのほとんどの職員が被災地でのボランティアコーディネイトに関わることになった。
そして、今でも関西入りした東北大学村松淳司教授のスケジュールの中には必ずこみさぽへの訪問が組み込まれている。それだけでも大変光栄この上ないことである。
そして、この2日間、もちろん村松先生とお会いしたことももちろんだが、閖上に行って、仮設住宅の皆さんとお話しし、私が今何をすべきかを整理できたことは3年目にして貴重な体験だった。
この3年間、西宮の「西宮カレッジプロジェクト(通称:NCP)」の活動の中で、東日本大震災支援と銘打ち、西宮にいながらできる支援を試みてきた。市内の皆さんから仙台七夕に向けてメッセージを集め、東北大学HARUの学生さんを招き、河野市長にもご出席頂いて、短冊受け渡し式を続けて実施している。その東北大学から招く学生さんの交通費はなんと西宮の学生が毎回募金活動をして集めて、全額東北大学HARUに寄付している。それをずっと続けているのだ。
助成金や補助金に頼らない、自分たちの力で集めた資金での支援は、これまでもこれからも私、そして学生たちの誇りである。安直に学生だからと助成金や補助金に頼る団体も多い中、西宮の学生たちは純粋でかつバイタリティに溢れ、よどみのない資金で東北を元気付けている。助成金に頼る活動も悪いとは思わないが、これほど愚直に支援している学生たちを見ていると自慢したくなってしまう。
実は、学生の時に被災地に入ってお手伝いをすることより、西宮にいながらできる支援にこだわってきたのは、学業との両立、資金面での不平等性等様々な問題を即座に解決できない中で、できることを選んだ結果でもあった。そして、彼らは社会人となり、意を決したように経済面の余裕も心の余裕も生まれてきた時を見計らって、自分の稼いだ費用で被災地を訪れている。学生の間に行けなかった、いや行かなかった被災地で何かを感じて社会に活かそうとしている。
前置きが長くなったが、これだけのご縁に恵まれながら、現地で動かなかった私が、今回の視察で、やらなきゃいかんだろ?と心に決めたことがある。やれるんじゃないかと思うことがある。
今年の8月に続いて被災地に入り、同じ場所を訪れて感じたこと。
あまりにも代わり映えしない、時間が止まったような平らな土地。
今回、閖上に伺って、愛島東部自治会の総務担当 長沼さんにお話を聞かせて頂いたが、そのまちの未来は決して明るいもののようには感じられなかった。
まちは誰のものだろう。まちは住む人のもののはずだ。
だからこそ、私はまちづくり団体の理事長をしてきたし、阪神間を離れずに事業を行ってきた。
まちづくりは人づくりであり、人がまちをつくるのである。
住んでもいない人から押し付けられた計画は、巨額な費用をかけても、何の意味もない。遺恨しか残さない。
時間をかけて調査すべきことだが、これから住むまちをどう創り上げていくのの中で最も大切な住居の面について、ゆっくり調べてみたいと思っている。もっと話を聞きたいとも思った。
閖上地域で、いや、全国的にだが、だいたい私くらいの年恰好になってくると、ローンのべったりついた持家に住んでいる場合も多い。よく聞く話だが「60歳まで住宅ローンを払い続けないといけない」「まだまだ残債があるからいい歳になっても働かなきゃならない」等、皆さんの周りでも耳にしたことはあるだろう。
閖上でも同じである。
予想だにしない未曾有の災害を前に跡形もなくなった我が家の面影だけを見つつも、今もまだ支払い続けている人たちがいる。働いていると債務放棄できないというのだ。要するに、もう建てることができない、今、建てても住む環境にもないがローンの利息だけは払い続けていて、5年後を目処にその利息のみ払えばよいという制度がなくなった後は、元本も払うことになるというのだ。もう3年たったのだが、仮設住宅に住んでいらっしゃる。だいたいこの規模の大災害だから、3年を目処に何らかの国の方針が出るだろうと思っていたとのことだった。まさか、家の面影も跡形もない、住むことさえもできない平地のローンを払い続けろと言われるとは思っていなかったのだと。次の終のすみかを考えるにあたって、もうすぐ元本の支払いがやってくるとなると、次に持家を買う時には、確実に二重ローンとなる。復興住宅は収入を勘案され、家賃16万やら18万かかるという。究極の選択だ。二重ローンを組んで、新しく家を買うか、高い復興住宅に入るか。
そこにはコミュニティの問題もある。
昔からの顔見知りが集まっている仮設住宅にお爺とお婆は住み続けたいというのだとおっしゃっていた。
私は阪神淡路大震災の被災者でもあるが、その時は一部損壊で、かつ補修費用は払ったものの、その場所に住み続けることができた。
東日本大震災と阪神淡路大震災はその被災した現状や土地の持つ特性が全く違うように思う。
同じ制度、同じ対処、前例踏襲でよいのだろうか。
本当の復興、本当の支援とは何か。
他人事ではない、明日のまちを守るための策を、考えることこそ本当の復興、本当の支援の第一歩かもしれない。