こんばんは。東朋子です。
日を追うごとに寒さが厳しくなってきています。
皆さん、お元気ですか?
もうあっという間に師走。ブログを毎日更新すると宣言してから早幾年。まったくまっとうできておらずお恥ずかしい限りです。
さて、今日はまちづくり塾。
毎年恒例となったこのまちづくり塾ですが、回を重ねるごとにご参加の皆さんも、かくゆう私もこなれてきて、よいお話を引き出せるようになってきました。
(いや、自己満足かもしれませんが・・・)
今回の学びはとても深いものでした。
何より心に残った言葉は、大阪ガス山納さんの「しくみよりなかみ」というフレーズ。
特に私たちのような「形なきもの」を提供している組織は、
どうも仕組みにしてしまいたがる傾向にあります。
もちろん仕事なのでそうでなければ意味がないとも思っています。
その「しくみ」も含めて「商品」となるのですから。
しかしどんな立派な「しくみ」でも「なかみ」が伴っていないのなら
それはまるで「器」でしかなく、なんのおいしいお料理ものっていないも同然です。
そんなものは食べられません。
山納さんは身振り手振りをつけながら、どんなに「なかみ」が大切かを教えてくださいました。
・・・例えば、素敵なコーヒーカップがあって、一つ買ったらもっと欲しくなって、アンティークのコーヒーカップがいっぱい手元に集まってきた。大好きで大好きでたまらないアンティークのコーヒーカップたち。誰かが大切に使ってくれて、でも譲るんじゃなくて、魅せて、愛でてほしいんだけど。そうだ、週に1回くらい、人に愛でてもらえるようなカフェができたらな。でも開業するほどがんばれない。・・・
が、7人集まれば、毎日開いているカフェになる。
でも、カフェから作ったわけじゃない。
「しくみ」じゃない「なかみ」から。
そういえば、こみさぽ。
最初はそうだったよね。
私とともに動き始めた戦士は今ももっとも私の心がわかる奴です。
小さなテーブルに向かいあわせで座り、そしたら膝と膝がくっついてしまうそんな毎日で、
このままお給料も出なかったらどうするね?とよく話したものでした。
決してなくしたわけじゃない。
決して迷ってるわけじゃない。
でもいつのまにか「しくみ」ばかり考えてしまっている自分を
もう一度「なかみ」重視に戻すために、神様はきっちりお仕置きを用意している気がする。
そか、お仕置きじゃないな。
きっともっと大変なことにならないように事前に注意してくれているんだ。
そして、塩見さん。
「言葉の大切さ」と「発想の豊かさ」をとてもやわらかい物腰で教えてくださいました。
どうしてだろう。たくさんのことを教えてもらって、INPUTは満タンのはずなのに
まったくそう感じさせない。そう、人を苦しくさせない雰囲気をお持ちでした。
人が学ぶときは、学ぼうと思って学ぶときと、
こころにすっと入ってくるときがある。
まさに塩見さんのお話は、必要なときに頭のすみっこからそっと出てくるのだろうな。
今はまるで忘れてしまったかのようだけど、きっとそういえばと思う瞬間がくるんだろうな。
日本語はとても美しく、田んぼを耕す、野菜を育てる、愛でる、食す。
そういうすべての鼓動が、実は心を育てるのだろうな。
そして、その時間の中で再構築される言葉たちは、
時に印象的で、脳に残るフレーズでよみがえり、人の心を打つのだろうな。
「半農半X」
やっぱりいい言葉だ。
さて、師走です。
年末年始はたくさん考えて左脳を鍛え、いいものをたくさんみて右脳を鍛えてみようと
思います。
そうそう、最後にたくさん手伝ってくれた学生ボランティアの皆さん。
今日のこの時間は、君たちのためになったのだろうか。
少しは心を動かしたのだろうか。
心配でいっぱいです。
当たり前が当たり前にならない世の中です。
短い一生の中で、君たちの触れるものがずべて上質であって欲しいと願い、そのために、最大限の努力を惜しみなくしたいとは思ってるんだよ。
時々、うまくいかないけど。